私は高校教師の時、世界史の授業は「大航海時代」から始めました。古代から始めるよりも、現代に関係事項の多いこの時代から始める方が便利だったからです。

同類はいろいろあるようですが、ヨーロッパ人の冗談を紹介しました。

「イギリスを自慢しているやつはイギリス人だ。
ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。
スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている」

この冗談の主役はスペイン人です。
あのスペイン(イスパニア)大帝国はなぜ衰弱・没落したのか。
それは、スペイン人が自国を悪く言うようになったからです。悪く言う、つまり自国を悪く考えるようになってからイスパニア大帝国は衰滅に至りました。
誰がスペインを悪く言ったのでしょうか。
イギリスやオランダです。この両国はスペインの後輩国です。イギリスやオランダが植民地でいかに酷いことをしたかは、今では広く知られています。殺されたアメリカ原住民やインドネシア人のその数を知る人はいません。
同じことをスペインもやった「だけ」です。しかし、スペインは敗けました。悪口合戦に敗けたスペインは、歴史の敗北者になり果てました。つまりスペイン人たちはスペインの歴史に自信が持てなくなっていったのです。悪逆非道の国・虐殺の国・異端虐殺の国・暗黒の帝国・狂言の支配する国……無数の悪口がスペインに浴びせられました。
プロパガンダ(宜伝)合戦に敗北したスペイン人は、国民的に元気を失い歴史の敗北者にさせられました。自信を喪失し自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、寂しく自国を嘲笑する国民には衰滅しか道はありません。
スペイン衰滅に大きな力を発揮した一冊のパンフレットがあります。司教のパルトロス・デ・ラス・カロスの書いた『インディアスの破壊について簡素な報告』というのがそれです。岩波文庫にもあります。こんな調子です。

「……彼ら(スペイン人)は村々に押し入り……老いも若きも身重の女もことごとく捕らえ……引き裂きずたずたにした」

「彼らは誰が一太刀で身体を真っ二つに斬れるとか、誰が一撃のもとで首を斬り落とせるかとか賭けをした」
「ようやく足が地に着く程度の絞首台をつくり、十三人ずつ吊るし生きたまま火をつけた」

念のために言い添えますが、これは例の「南京大虐殺」の一節ではありません。このカロスのパンフレットは、敵に徹底的に利用されました。空想で描いた残虐な場面の銅版画とともに流布されました。この銅版画は日本の高校生の持たされる教科書・参考書にも載せられています。
イギリスが大英帝国として興隆していく過程で、スペイン帝国が衰滅していきました。科学技術や人文地理的分野からの考察はむろん必要ですが、国民国家の発展・衰滅の土台にはエトス(国民精神)の盛衰が基盤なのです。
スペイン帝国の衰滅は、スペイン人のイスパノフォビア(スペイン嫌悪)とともに進行しました。日本人のジパノフォビア(日本嫌い・仮称)は相当に深刻ですが、大丈夫でしょうか。スペイン帝国の衰滅の原因はスペイン人のイスパノフォビアであり、一五八八年の「無敵艦隊」の敗北ではありません。一敗地にまみれても、国民に元気(正気)が健在なら、一会戦(海戦)の敗北で国が滅びたりはしません。
この年(一五八八・天正十六年)は秀吉が衆楽第(じゅらくだい)に後陽成(ごようぜい)天皇をお迎えした年にあたります。秀吉は、スペインのフィリップ(フィリペ)二世に対してキリシタンを先頭にした侵略を止めないのなら、「フィリピン」(フィリップニ世の地)征服も辞さないと通告しています。スペインは依然として最強国と目されていたのです。秀吉の朝鮮侵攻を「朝鮮侵略」として矮小化して語る向きがありますが、困ったものです。
スペインの狙いが支那(明)にあることを知った秀吉は、明に盟約を提言しますが、断られて明への進撃を計画しました。イギリスとオランダも進言しています。例のパンフレットや銅版画が用いられたかもしれません。イギリスとオランダは、キリスト教の布教を手段にして領土を奪うスペインの悪口を言い募ったことは間違いないでしょう。長崎事件の直後でもありました。
長崎を領地にしていたキリシタン武士(長崎氏)が、長崎の地をローマ法王に寄進していたことに秀吉が激怒した事件です。スペインの対明進出はめざましいものがありました。
長袖国(文弱国という意味の蔑称)の明は膝下に組み敷いておかねば東アジア(という言葉は当時はないが)は危ないと、秀吉は考えたようです。朝鮮には進軍路を貸せと強要したというのが真相のようです。
大帝国スペインに対抗しようとした秀吉の自信は、鉄砲に支えられていたのかもしれません。鉄砲伝来(一五四三・天文十二年)から四十余年を経て、日本は最大の鉄砲保有国になっていました。ローマ法王にあてたバテレンたちの報告書にも、日本への武力侵略は無謀であり明こそが適しているとあります。
信長による鉄砲の大量・組織的な実戦使用(長篠合戦・一五七五・天正三年)は世界史上でも注目すべき事件ですが、日本軍の主要武器は刀槍に並び鉄砲でした。朝鮮での戦いでも個々の戦闘は、鉄砲の斉射により明軍は壊滅的な敗北を喫しています。しかし、日本軍は補給に苦しみました。
秀吉の対スペイン政策を正当に評価しない傾向が、日本の史学界にはあります。朝鮮侵攻を秀吉の「老人性パラノイア(誇大妄想)」とする説などは有力です。
ともあれ「無敵艦隊」が敗北しても、スペインは依然として最強の海洋国家でした。
それがやがて衰滅していくのは、イスパノフォビアによる衰弱・自滅によるものです。反対にスペインの座を奪ったのがイギリスやオランダの「新教国」でした。ちなみに南蛮人とはスペイン・ポルトガル人であり、イギリス・オランダ人を紅毛人と当時の日本人は呼び分けていました。
自国は犯罪国家だとの自意識が精神の基盤(エトス)に組み入れられると、その国は衰弱し、やがては滅亡します。イスパノフォビアを日本人は真剣に教訓としなければなりません。インカ帝国を滅ぼし、ンインディオを虐殺し尽くしたのがスペインだとのイスパノフォビアは、今でも公然と語られています。
それに反して、イギリス人はオーストラリアの原住民を殺し尽くしたではないかとは言われません。アメリカ人による原住民虐殺も語られません。ユーラシア大陸内部についても同様です。シベリアの住民はどこに消えたのでしょうか。満洲族も消えようとしています。チベットの運命はどうなるのでしょうか。
イスパノフォビアの古典が、あの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』です。ジパノフォビアを植え付けるべく、日本の教科書は盛大に日本の悪口を書きまくっています。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」のウソ宣伝は、中国の遠大な国家戦略なのです。これはナショナル・アイデンテイティ・ウォーという戦争なのです。
スペインを衰滅させたのは誰か。この設問の答は、イギリスを興隆させたのは誰かという回答と一致せざるを得ないようです。イギリス(と象徴的に言います)を興隆させたのはユダヤ人たちです。スペインはユダヤ人を迫害し、追放してしまいました。ユダヤ社会の金融・通商・信用・決済・産業技術は「産業革命」を支えるものでした。
フランスはフランス革命などで、ユダヤ人社会をかなり解放してきました。東・中ヨーロッパはそうはいきませんでした。
ルソーという思想家を日本人の多数は誤解しています。ユダヤ人のルソーは、迫害される自分たちを解放する思想・思考回路を創造したのです。「自然に帰れ」という彼の言葉は有名ですが、歴史・民族・伝統・文化・習俗を捨てろというのが、この言葉の意味です。つまり伝統・文化の束縛のない社会に帰れということです。なぜなら伝統・文化・国民性こそが、ユダヤ人迫害の元凶とルソーは考えたからです。捨て子のユダヤ少年ルソーは天才でした。次に述べるような彼の思想はフランス革命を準備しました。「自然に帰れ」という有名な言葉は、彼はどこにも述べていません。誤解した人が発明した言葉です。
人間というものは、スポンティニャス(Spontaneous・自生的な・山川草木はスポンティニャスなものです)に、つまり自然に人間や社会は自生してできてきたものなのに、何か理性の知恵で設計的に人間や社会を改造しようとするのが「社会契約論」と呼ばれるようになる思想です。
革命というのは、人間の「理性設計」の優越を前提にした思想によるものです。フランス革命を誤解して自由平等の社会の実現を目指した、人間解放の理想のように説く教書の類が本には溢れていますが、世界的には奇妙な風景です。人間一般の解放などルソーの天才が描いた大フィクションなのですが、学校教科書にこれほどルソーを登場させる国は日本くらいだと思います。彼は人間解放の名の中にユダヤ人のそれを見たのです。次のマルクスにしても同じなのです。
マルクスは周知のようにユダヤ人ですが、イギリスに亡命してからはユダヤ社会のスポンサーに支えられてユダヤ解放の理論構築に精進したのでした。スポンサーの一人の名はレイビーと言います。大富豪です。
自由の天地とは言えないまでも、イギリス・オランダなどではユダヤ人は解放されてきていました。ユダヤ人にとって、スペインや東ヨーロッパはつらい土地でした。コロンプスはユダヤ人だから、アメリカ「発見」はスペイン人・アメリコの功績となったのでした。
述べてきたことをまとめておきます。
モンゴル帝国がユーラシア大陸を制覇してから、辺縁世界は海洋国家にならざるを得ませんでした。辺縁国家の対語が内陸国家です。内陸国家でユダヤ人の解放が遅れたのは事実です。それに対してイギリスなどはユダヤ人の解放が進みました。産業革命のユダヤ人の功績を過大に言うのは誤りですが、しかし彼らの功績を抜きにはあり得ぬ「革命」でした。イギリス人やオランダ人はスペイン人との対抗の中で、日本との関係を結んでいくのでした。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)